きたがわ郷 -kitagawa go-

激動の幕末期、命を賭して維新回天に尽くした志士「中岡慎太郎」。土佐国北川郷に生まれ、大道を駆け抜けた慎太郎の30年と、慎太郎が愛した故郷北川村のコト、色々と紹介していきます。

中岡慎太郎『向学の道』ウォーク

快晴の11月最後の土曜日。

今日は中岡慎太郎ゆかりの史跡『向学の道』を地元ガイドがご案内するウォーキングツアーの受け入れをしました。

 

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7歳の中岡慎太郎が毎日片道90分の山道を往復して塾に通ったと云われている「向学の道」。

 

今日は「野川」集落の登り口から慎太郎の生家がある「柏木」を目指す、慎太郎の塾からの帰り道ルート。

 

 

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ご参加の皆さんは日頃から歩きなれておられる方々のようでした。

 

 

 

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登り口は階段にもなっていて昇り易いのですが...

 

 

 

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結構急勾配💦

 

 

 

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わりと険しい💦

 

 

 

『先に行って。後から追いつくから』

『キツイねぇ』

 

 

参加者の中からそんなお声も漏れておりました😅

 

 

 

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道中には北川村を望んでいただけ場所もあります。

 

 

 

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「光次の並木」でガイド案内。

 

 

 

 

大庄屋に生まれた慎太郎はお父さんについて大庄屋見習いをしていた時があります。

この頃、ゆずの栽培を奨励したと云われていますが、杉の木の植林も奨励したと云われています。

当時、5本の植林をしたうちの2本が今も現存しています。

 

その2本が向学の道道中でご覧頂けます。

 

 

この杉の木を、慎太郎幼少期の名前「光次」をとって、"光次の並木"と名付けています。

 

 

 

 

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ここでガイドさんが

『さぁ皆さん、もう2/3まで来ましたよ😊もう一頑張りしましょう』と。

 

 その言葉を聞いて、

 

 

 

 

『えっつ💧 まだ、1/3もあるの!?😖』

『頑張ろう!2/3来たってことじゃない!!』

『あとはもう、下るだけよ😊頑張ろう!!』

 

と、色々なお声が聞こえてきました。

...

(まだ、下りにはならないんですけど💧とは言えませんでした😓)

 

 

 

 

もうしばらく頑張って昇っていただ所が頂上。

ここで少し休憩。

 

 

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皆さん、かなりキツそうでした😓

ここからはもう、下るだけです。

(今度こそ、下りですから💦頑張りましょう😖)

 

 

 

 

 

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慎太郎の生家や中岡慎太郎館がある「柏木」に到着後、中岡慎太郎像の前で皆さんにご挨拶してウォーク終了✨

 

 

 

『筋肉痛は明後日頃かなぁ...』

 

と仰りながらバスに乗車されて次の目的地へ。

 

 

 

皆さま、お疲れ様でした。

少しは慎太郎を身近に感じていただけたでしょうか😅

 

 

 

今でも十分に険しくて、厳しい山道ですが、慎太郎が通っていた頃はもっと険しかったはず。

そんな山道を毎日、片道90分もかけて塾に通っていた事を思うと、慎太郎の「学び」に対する貪欲さを改めて感じた「向学の道ウォーク」でした。