戦国時代に北川村(郷)を支配していたのは、烏ヶ森城主「北川玄蕃頭道清」でした。
中岡慎太郎が毎日片道90分の山道を歩いて塾に通った道を「向学の道」と呼んでいますが、慎太郎の家があった地区を<柏木>
こちらが柏木側の登り口。
こんな山道を毎日歩いて通い、山道を抜けたら<野川>。
こちらが野川側の登り口。
ここからまだ「向学の道」は続きます。
その道中に、『北川玄蕃頭と長宗我部元親の戦場跡』があります。
玄蕃頭は、北川村周辺の城主が降伏しても、最後まで降伏せず戦った城主でした。
最後まで戦いに挑む気質は、誇り高く、信念を貫き、ただひたすら挑んでいった慎太郎の人生と通じるものを感じます。
北川村村民に受け継がれる「DNA」かなぁ。
今も、感じるところありますし(^-^)