きたがわ郷 -kitagawa go-

激動の幕末期、命を賭して維新回天に尽くした志士「中岡慎太郎」。土佐国北川郷に生まれ、大道を駆け抜けた慎太郎の30年と、慎太郎が愛した故郷北川村のコト、色々と紹介していきます。

北川玄蕃頭祠

戦国時代に北川村(郷)を支配していたのは、烏ヶ森城主「北川玄蕃頭道清」でした。

 

中岡慎太郎が毎日片道90分の山道を歩いて塾に通った道を「向学の道」と呼んでいますが、慎太郎の家があった地区を<柏木>

 

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こちらが柏木側の登り口。

 

 

 

 

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こんな山道を毎日歩いて通い、山道を抜けたら<野川>。

 

 

 

 

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こちらが野川側の登り口。

 

 

 

 

 

 

ここからまだ「向学の道」は続きます。

 

 

その道中に、『北川玄蕃頭と長宗我部元親の戦場跡』があります。

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玄蕃頭は、北川村周辺の城主が降伏しても、最後まで降伏せず戦った城主でした。

 

 

最後まで戦いに挑む気質は、誇り高く、信念を貫き、ただひたすら挑んでいった慎太郎の人生と通じるものを感じます。

 

 

北川村村民に受け継がれる「DNA」かなぁ。

今も、感じるところありますし(^-^)