1200年前後、ここ北川で勢力を持っていたのが「北川氏」。
そして、戦国時代に北川郷を支配していたのが豪族
「北川玄蕃頭道清」。
中岡慎太郎館側の「慎太郎向学の道」から登っていくと
道清の居城であった<烏ケ山城>跡があります。
烏ケ城周辺には深い空堀・堅固な盛り土が施されており、
まさに山そのものが「城」といった自然の要塞を築いていたそうです。
長宗我部元親軍が土佐の東へ攻め進んできた時、
東の武将は北川玄蕃を除いて悉く降参し、北川玄蕃は最期まで応戦したと
云われています。
北川村の歴史を語る時、『北川玄蕃頭道清』もまた、中岡慎太郎同様に
重要な人物なのです。
昨日、9月15日は『北川玄蕃頭道清』の命日でした。
今から445年前、長宗我部の軍勢に攻められ、打つ手のなくなった玄蕃は
単身で長宗我部軍に割って入り、槍の名手「福留権左衛門」に首を刎ねられ
討死しました。
中岡慎太郎の遺髪墓がある松林寺墓地に道清の慰霊碑があります。
『最期まで降参しなかった』
というところが、今の北川村民に、良い意味での”プライドの高さ”として
受け継がれているように感じます。