きたがわ郷 -kitagawa go-

激動の幕末期、命を賭して維新回天に尽くした志士「中岡慎太郎」。土佐国北川郷に生まれ、大道を駆け抜けた慎太郎の30年と、慎太郎が愛した故郷北川村のコト、色々と紹介していきます。

北川玄蕃頭命日。

1200年前後、ここ北川で勢力を持っていたのが「北川氏」。

 

そして、戦国時代に北川郷を支配していたのが豪族

「北川玄蕃頭道清」。

 

中岡慎太郎館側の「慎太郎向学の道」から登っていくと

道清の居城であった<烏ケ山城>跡があります。

 

 

烏ケ城周辺には深い空堀・堅固な盛り土が施されており、

まさに山そのものが「城」といった自然の要塞を築いていたそうです。

 

 

長宗我部元親軍が土佐の東へ攻め進んできた時、

東の武将は北川玄蕃を除いて悉く降参し、北川玄蕃は最期まで応戦したと

云われています。

 

北川村の歴史を語る時、『北川玄蕃頭道清』もまた、中岡慎太郎同様に

重要な人物なのです。

 

 

昨日、9月15日は『北川玄蕃頭道清』の命日でした。

 

今から445年前、長宗我部の軍勢に攻められ、打つ手のなくなった玄蕃は

単身で長宗我部軍に割って入り、槍の名手「福留権左衛門」に首を刎ねられ

討死しました。

 

中岡慎太郎の遺髪墓がある松林寺墓地に道清の慰霊碑があります。

 

 

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『最期まで降参しなかった』

 

というところが、今の北川村民に、良い意味での”プライドの高さ”として

受け継がれているように感じます。