きたがわ郷 -kitagawa go-

激動の幕末期、命を賭して維新回天に尽くした志士「中岡慎太郎」。土佐国北川郷に生まれ、大道を駆け抜けた慎太郎の30年と、慎太郎が愛した故郷北川村のコト、色々と紹介していきます。

慎太郎の笑顔写真。

中岡慎太郎さんの写真は2枚だけ残っています。

 

きりりっっ と正面を見据えた「正座」の写真。

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もう一枚は「笑顔」の写真。

 

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平成22年に富山市の個人宅でガラス原板が保管されていた事がわかり、当時は地元高知新聞でも大きく紹介してもらいました。

(以下、平成22年7月21日発行 高知新聞記事参照)

 

 

 

 

保管していたのは富山市の鹿野秀夫さん。

慎太郎が下宿していた京都の書店「菊屋」経営者の5男にあたる峰吉の子孫。

 

峰吉は志士との連絡役を務め、慎太郎や坂本龍馬などに可愛がられていたそうです。

 

 

ガラス原板は峰吉が慎太郎から譲り受けたとみられ、峰吉没後、富山市に移り住んだ峰吉の妻の遺品として受け継がれてきたそうです。

 

 

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原板のサイズは縦約8cm×横約10cm。

 

龍馬と共に襲撃をうける約1年前に京都祇園で撮影されたものとか。

 

慎太郎のひざには女性のものらしい長帯がかかっており、女性が一緒に写っていたとみられます。

でも、なぜかその部分が削り取られたり、塗りつぶされています。

 

 

後できまりが悪くなったんでしょうかね?(^_-)

 

 

中岡慎太郎館の豊田学芸員が仰るには、

『慎太郎が右手で頬杖を突いているように見えるが、実は隣に写っていたはずの女性の腕』

 

 

ずっと、頬杖をついていると信じて見てたので、それを知ってびっくり(@_@)

 

 

 

真面目な印象の強い慎太郎さんが、女性に頬を撫でられてこんな笑顔になるなんて、ちょっと意外ですが、でも、緊張の続く日々の中で束の間、ほっとした時間だったのかなぁと思うとほほえましくも思えます(^-^)