きたがわ郷 -kitagawa go-

激動の幕末期、命を賭して維新回天に尽くした志士「中岡慎太郎」。土佐国北川郷に生まれ、大道を駆け抜けた慎太郎の30年と、慎太郎が愛した故郷北川村のコト、色々と紹介していきます。

北川村の子安地蔵。

中岡慎太郎の遺髪墓地は松林寺の墓地にあります。

 

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といっても、「松林寺」の建物は今はありません。

1871年の廃仏毀釈により廃寺となっていて、今では、寺門だけが残っています。

 

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この寺門を慎太郎さんが行き来していたんですよ(^-^)

 

寺の墓地のそばにある『子安地蔵』。

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子授けに霊験がある、と、周辺町村にまで知られていたそうです。

今でも、村内外から祈願に来られています。

 

 

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祈願の時にお堂の中の丸い小石を頂いて帰って祭り、子どもが産まれるとその小石に子供の名前と住所、生年月日を書き、新しい小石を1個添えてお礼参りをします。

 

 

小石は海の彼方にある霊界からやってくる子供の魂を象徴するものです。

 

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子安地蔵様の周りにはたくさんの小石があります。

角がなく、丸い、平らな小石ばっかり。

名前などを書きやすい石を次の方のために探してあげてくださいね。

 

 

この子安地蔵に祀られているのは、越前の永平寺から山内公により招かれたと伝えられる松林寺の玄門和尚です。

 

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あるとき、村の若嫁のお産が重くて亡くなってしまい、棺に納められました。

昔からの言伝えではお産が重くて亡くなってしまった妊婦は子供を取り出して埋葬することになっておりましたが、この若嫁は子供を取り出さずに棺に納められていました。

 

そこで、和尚が棺の前でしばらく祈りをささげてから棺のふたを開けてみると、亡くなっている母親から子供が産まれていました。

 

このとこがあってから和尚は、このような可哀想な目には合わせたくない、と、自分の死後、子安地蔵として祀ってくれるよう遺言しました。

 

和尚の死後、「子安の地蔵さん」として村人は親しみを込めて祀り、信仰を集めるようになった、といわれます。

 

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お堂の中には他にも、赤布に産まれた子供の名前や生年月日、住所を書いたものもあります。

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これも、お礼参りの際に置いていくそうです。

 

 

 

村民さんは『子安の地蔵さんにお願いしたら、男の子が産まれる』といいます。

 

慎太郎さんも、3人の女子のあと、母“うし”が子安地蔵さんに信仰して、男児誕生を熱心に祈願して授かった待望の男子だったそうですよ。

 

 

今週、慎太郎顕彰会に、『子どもが無事に産まれたので、子安地蔵さんにお礼参りしたいけど、やり方を教えて貰えませんか』と、村に移住して来た村民さんが訪ねてきました。

 

『男の子?女の子?』

 

『男です。』

 

おぉぉぉぉ(≧◇≦)

 

 

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どちらの性別のお子さんでも、無事に安全に、お産を終えられるよう、お見守りくださいね。子安の地蔵さん。