きたがわ郷 -kitagawa go-

激動の幕末期、命を賭して維新回天に尽くした志士「中岡慎太郎」。土佐国北川郷に生まれ、大道を駆け抜けた慎太郎の30年と、慎太郎が愛した故郷北川村のコト、色々と紹介していきます。

野根山街道<宿屋杉>

昨日の記事でも紹介しました【野根山街道】。

 

養老2年(717年)に官道となる前からその道はあったと云われています。

土佐日記の筆者<紀貫之>土佐入国の道、

参勤交代の道、中岡慎太郎が脱藩した道。

と、長い、長い歴史が刻まれた街道です。

 

 

f:id:nshintaro:20190315204907j:plain

 

 

 

 

f:id:nshintaro:20190315204927j:plain

 

 

北川村のお隣「奈半利町」から東に室戸市、東洋町と、

野根山連山を尾根伝いに約35kmの街道は、そこまで

辿り着くのも容易ではなく、台風や豪雨があると

続く林道などが簡単に通行止めになり、

しばらく街道へは近づけない事もしばしば。

 

 

それが功を奏して(?)

1300年余経つ今でも、ひっそりと謎を秘めた雰囲気を持つ

何ともいえない魅力的な街道のままでそこにあります。

 

 

 

かずかずの史跡も残っていますが、中でもシンボル的な存在は

【宿屋杉】

 

f:id:nshintaro:20190315204946j:plain

 

 

かつては地上1.3mで周囲16.6m、高さ32m、樹齢千年以上。

のまさに大木。

でしたが、昭和9年室戸台風で倒壊し、今はこんな状態。

 

 

 

 

 

 

根元から4mのところで切断されて、さらに5mの長さに

切断さあれたものが今でも側に横たわっています。

 

f:id:nshintaro:20190315205106j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:nshintaro:20190315205148j:plain

 

 

この空洞は昔、四畳半ほどの広さがあって、

旅人の4~5人も泊まれたと云われています。

 

 

 

 

数年前から

『完全に崩れるまでそう長くはないろう』

と、云われているのですが、何とか、何とか、持って貰いたい...

 

 

 

f:id:nshintaro:20190315205051j:plain

 

 

この支えも何時までもつのか...

 

 

 

f:id:nshintaro:20190315205031j:plain

 

 

 

空洞の中で上を見上げるとこんな感じ。

 

 

 

f:id:nshintaro:20190315205001j:plain

 

 

 

 

 

f:id:nshintaro:20190315205016j:plain

 

 

 

 

 

 

何百年もの間、街道を通行する旅人に宿を提供した『宿屋 杉』。

何とか踏ん張って欲しいものです。

 

 

 

f:id:nshintaro:20190315211031j:plain



 

こんなふうに、野根山街道には「必見」の史跡があり、

伝説が残り、歴史を肌で感じられる場所です。

 

 

 

 

中岡慎太郎は故郷北川郷をあとにして、

この道を何を思いながら歩いたのかなぁと、

今回は慎太郎の姿を想像した野根山街道でした(^-^)